君たちはどう生きるか 感想

ジブリ王国崩壊と一縷の希望

 

この作品に関しては正直評価することが難しい作品の一つといえるだろう

公開前は

予告も場面カットも情報も一切なしで、公開前日になっても情報一切なし

当日になってやっと情報がでるというのは前代未聞だ

宮崎駿いままで積み重ねてきた実績とネームバリューがあるから知名度

ものすごくあるので、確実に人は来るが、ほかの作品で情報一切なしで遮断するのは

大きなリスクだと思う。

スタジオジブリは大きな賭けにでたといっていいだろう。

間違いなく歴史に残る一作だろう

公開前はいろんな妄想が止まらずものすごくわくわくさせてくれた。

 

そして公開されて一足先に劇場へ駆けつけた。

ちなみにIMAXで音響のいい中鑑賞させていただきました。

 

 

 

ストーリーを自分なりにざっくり説明すると

戦火を逃れた少年眞人は疎開し、亡くなった実のお母さんの妹である夏子と一緒に綺麗な家に住むこととなる。

アオサギという存在に出会い、夏子は消え、手がかりの大叔父の家である塔に向かうことに

夏子を探すために少年は異世界を旅する  

 

・・・・・という話だ。

間違っていたらすいません!!

 

最初は火垂るの墓のようなリアリズムの話かと思いきや、千と千尋のような異世界

を旅するファンタジーであった。

アオサギやその世界の登場人物たちと

協力しながら異世界を冒険していく話である

文章でストーリーを語るとわかりやすいのだが

しかし本編映像自体は非常に難解であった。抽象的な表現が多く、理解するのに時間がかかる

いや理解不能だ。だがそれが面白い。

一種のアート映画ともいえる

賛否別れるのは確実だろう。

勝手な解釈だが

でてくるモチーフ小道具生き物キャラ部隊すべてが様々な含みをもたせたいわばメタファーのようなものを感じさせるつくりであった

 

それは宮崎駿鈴木敏夫、息子の宮崎吾郎ジブリスタジオ、ジブリを支えてきたクリエイターたち

、そしてジブリ作品を観続けてきた私たちともとらえられる

 

物語の後半で13個で積み上げられた積み木がでてくるが

これは宮崎駿がいままで作ったアニメ映画の本数といえる

 

 

塔の存在はジブリスタジオ 大叔父の存在も宮崎駿自身だと思う

ジブリ自体もいまや宮崎駿を超えるような作り手がいない状態だ。

宮崎吾郎に関してもそうだが、失礼ながら才能を受け継ぐに足りうる才能

とは言い難い。監督も80歳を超え、長年の相棒、親友だった高畑勲監督も

先立たれてしまい、今度は自分の番かもしれない。

いつ死ぬか分からない思いに悩まされる

残されたジブリスタジオはどうなるのかとても心配だ。

衰退して、なくなるか、企業に買収されて別の会社になっているかもしれない。

それに数十年後数年後に自分の作品は誰の記憶からも忘れ去られる残っている可能性だって怪しい。

衰退の一途を垣間見えてしまう。

宮崎駿も自分がつくりだした世界ジブリというブランドに

大きな功罪を抱えていたのだろうと思える。

 

そう思った駿氏はこの映画で解答を示したのかもしれない。

この作品を世に送り出せたこと自体宮崎駿にとって

幸せであり奇跡であり希望であったことなんじゃないかな

 

最後に塔が崩れて異世界から解放されるのもジブリという長い夢から

覚めたともとらえられるし、眞人に掌に一つの積み木が託されたのも

これから巣立っていく若者、若いクリエイターに希望を託したとも思える

 

もうジブリなんてみてないでしっかり現実をみなさい

 

自分の人生を全うした老人が今度はジブリによって人生を壊された人たち(全人類すべて)に

自分の人生にしっかり向き合いなさいと言っているみたいだった

 

作り手としてあるいは人生の主役として我々は自分と向き合わなければいけないだろう

 

 

一種の嘆きそれとも喜びか

ジブリのようなアニメなんて作らないで、自分自身を表現した作品をつくりなさい

宮崎吾郎の息子の件もあり、

クリエイターや作り手に向けた遺言ともいえるメッセージかもしれない。

後宮崎駿を超える才能は別のところで現れると思う。

 

解釈は人それぞれだろう、それぞれがみて感じたことすべてだ。

この作品が面白いと感じる人もいればつまらないと感じる人もいる

つまらないという人がいても全然わかってないなとはいわない

少なくともこの作品はあらゆる意味で記憶に残る作品となった。

何年後かにはまた評価が変わるかもしれないがここでふせさせてもらう。